基本情報
支部長 | 藤田 正義 |
---|---|
電話 | 086-422-3111 |
教会 | 倉敷市分教会 |
住所 | 〒710-0824倉敷市白楽町183-2 |
支部長 | 藤田 正義 |
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電話 | 086-422-3111 |
教会 | 倉敷市分教会 |
住所 | 〒710-0824倉敷市白楽町183-2 |
第3回ようぼく一斉活動日 倉敷支部
【日 時】令和6年11月3日(日)(祝)
午前10時~12時(受付9時30分)
【会 場】 天理教道法分教会
【住 所】 倉敷市茶屋町276-3
【電 話】 086-428-0063
【プログラム】
おつとめ
諭達拝読
ビデオメッセージ
講話
講師 天理教加古大教会長 松尾太郎先生
【参加御供】300円(中学生以下は不要)
【交通案内】JR茶屋町駅西口から徒歩3分(約200m)
【備 考】車でお越しの際は、なるべく乗り合わせておいで下さい
○今月の「言葉一つ」
令和5年9月4日
「やさしい心」支部長 藤田正義
稿本教祖伝逸話編の「一二三 人がめどか」に、
「教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衞に、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」と、お諭し下された。生来、四郎兵衞は気の短い方であった」とあります。
大阪で、腕が良いと評判の左官業を営んでいた梅谷先生は、人づてに生き神様の噂を聞いて、明治十四年二月、初めておぢばに帰られました。お屋敷で取り次ぎから聞かせて頂く神様の話に感動し、ただちに入信されました。
入信直後から熱心におぢばに勤め、明治十五年五月の「かんろだい」の石出しひのきしん、明治十六年には「御休息所」の壁塗りひのきしんをされていて、その時に、教祖から声をお掛け頂いたのであります。
「やさしい心になりなされや」とは、誰とでも合わせていく事ができる、丸い心ではないかと思います。優しい心になるということは、日々の生活の中で、折につけ事に触れ「ありがとうございます」といって感謝を忘れず、どんなことに対しても喜ばせていただく。
自分にとってうれしいことは誰でも喜びます。たとえ都合の悪いことであっても、そこを「ありがとうございます」といって喜ぶ心、それがひいては優しい心を育みそだてる事になるのではないでしょうか。
次に「癖、性分を取りなされや」とは、いつも自らを省みて反省できる、低い心ではないかと思います。なくて七癖とも申しますが、やはり一人ひとりの癖性分は、なかなか取ろうと思っていても、取りにくい。しぶといものであります。
そのしぶとい癖性分をとろうと思ったら、どんなときも「申し訳ありません」「すいませんでした」と、素直にお詫びの出来る心を忘れない。たとえ自分のことでなかったとしても、我が事として受けとめて、言い訳をせずに謝れる。それが癖性分をとることになるのだと思います。
そして「人を救けなされや」という心は、どんなことでも「はい」と素直に受ける心だと思います。
私たちがよふぼくとして「どうでも、この人に救かっていただきたい」と真実に願うとき、その願いを聞き届けて頂くためには、やはりどんな時でも、どんな事でも、「はい」とご用を受ける素直な心を、日頃から培っておくことが大切だと思います。会長様から声をかけて頂いたときに、損得や好き嫌いを考えることなく、まず「はい」と受け止める。
なかなか難しいことかも知れませんが、それでこそ、「さあ」と言う時に、真実に願うまことの心が、教祖にお受け取り頂けるものだねとなり、ひいては、人をたすけさせて頂くことにつながっていくのではないかと思います。
この逸話があった明治十六年頃には、すでに天理教に対する官憲の取り締まり厳しく、先人達は反対攻撃のなかを、それこそ命がけでお通り下さった。そんな中に頂いた教祖のお言葉。どれほど真剣な気持ちで、そしてうれしく、有難く受け取られたことでしょう。それは取りもなおさず、只今の道を歩む私たちにとっても、大切な角目ではないかと思うのであります。
日々をやさしい心で通らせて頂きましょう。
令和5年4月4日
「親の姿が子に映る」支部長 藤田正義
2019年2月に法令厳守の通達がなされ、信号のない横断歩道に歩行者がいた場合、車両は必ず一時停止する「歩行者優先違反」というルールが厳格化しました。
昨年2022年のJAFによる調査では、停車率の全国平均は39,8%となって、およそ6割の人が、まだルールを守れていないようであります。
岡山県は2022年には10,3%でワースト全国1位でしたが、取締まりの強化などで、このところ徐々に停車率は上がっているようです。
その中で、長野県は昨年も82,9%の人が車を停めて歩行者を優先し、停車率全国1位となっている。しかも7年連続の1位です。すごいですね。もっとすごいのは、この法令遵守の通達がなされている以前から、長野県は、ほぼ全国1位をキープされていることです。
長野県在住の友人から聞きましたが、理由がちゃんとあります。長野県ではもともと、子供のときから「道路は手を上げてわたる」「ありがとうの会釈をする」など、交通安全への教育が実践され、学校でも家庭でもルールを徹底されているそうであります。
そして、その教育により、ルールが習慣として身についている子供が、成長して大人になって、ハンドルを握ったときに、横断歩道に歩行者がいたら、停車するのが当たり前になるそうであります。
大切な事は、口で教えるだけでなく、周りの大人が、親がきちんと身に示して教えていると言うことです。
これと同じことを、私たちは教祖から、ひながたの中に、ちゃんと教え頂いていると思うのであります。
しかもやさしい言葉で、わかりやすく、みかぐらうたやおふでさきに、さらには教祖伝に、逸話篇に、繰り返し教えの中に学ばせて頂いているのであります。
私たちは次代へと信仰の喜びを伝える為に、道の後継者の育成に心を砕き、普段の暮らしの中で、子供や家庭に対して、教祖のやさしいお心を、そのままに伝えて行かなければなりません。
それは言葉で伝えるだけではなく、一つでも二つでもひながたを自らが実践、実行して見せて「ありがたい」「もったいない」と喜び、勇む姿を家族や周りの方々に映るようにしなければなりません。
そうした親の姿を見て育った子供が大人になったならば、何か困難が現れてきた時には、それをどのように受け止めれば良いのか分かる。教祖のひながたを教えて頂き、身に付けていたならば、どこに心を向ければ良いか、何が御守護なのかが、ちゃんと分かるのであります。
実際にひながたを、習慣として身に付けるということは、ハードルが高いことかもしれません。しかし最初からぜんぶできる人もいないのであります。普段の生活の中に、ひながたを意識することから心がけていきたいものです。
困っている人には優しい心で声をかける。身上の方にはおさづけを取り次ぐ。感謝の心でおつとめをする。いつもひのきしんの態度を忘れない。毎日、自らを振り返りほこりを払う。
簡単に伝えられることではないかもしれませんが、まずは簡単なことから、親が通って見せて、そうして親の姿が子供に映るように、繰り返し身に行わせて頂きましょう。