天理教
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支部長岡部 順
電話03-3720-4295
教会日徳分教会
住所〒145-0064 大田区上池台1丁目43番8号

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松井正治先生の記念講演(要旨)

  • 2018年11月10日 (土)

郷東分教会長 松井正治先生の記念講演(立教181年9月30日 おつとめ総会)

 教えの元とは原典であります。あらゆる宗教に原典があります。仏教なら経典、キリスト教なら旧約聖書、新約聖書、イスラム教ならコーランがあります。お道ではご存知のように「おふでさき、みかぐらうた、おさしづ」といった親神様の啓示を内容にもつ教義の根源、ないしは根拠となることから、これを三原典と呼んでおります。私の教会では毎朝、おつとめの後に拝読をさせていただいております。

 ある日、ご婦人の信者さんが参拝に来られました。聞きますと「長男の具合がとても悪くて心配。何とかと思って参拝させていただきました」とのこと。入院先を聞きますと「K病院」であるとの返事でした。私はすぐにおたすけに行かせていただこうと思いましたが、実はこの家族は天理教に反対なのであります。おたすけに行きたいけれど家族が反対している。そんな心の迷い葛藤がありましたが、日頃拝読しているおさしづを思い出しました。「病人を放って置いてはならん。こヽらにはそういう者はあろうまいなれど、もし千に一つでもありては道の疵、教の理に無き理である。医者の手餘りと言えば、捨てもの同様である。それを救けるのが教の臺と言う。よう聞き分けるよう。」(明治26年10月17日)こうあるわけです。よもやいないと思うけれども、もしも千に一人でもいれば、これは道の恥ではなくて、疵者と断言されているのであります。これを思い出して「疵者になってはいけない。恥かくくらいはいいけれど、疵者になってはいけない」と思いまして、心が決まりました。

 翌日、早速おたすけに行かせてもらいましたが、到着したのはまだ午前10時。面会は午後2時からとのこと。待つも大変、一度戻るも大変。とりあえず病室を確認しようと受付で部屋番号を聞いて向いました。静かな廊下を進みますと看護師さんが現れました。黙っていると怪しまれると思い「〇〇さんの部屋はこちらですか」と聞きました。看護師さんは今頃なんだろうと私を見ながら「ご家族の方ですか」と聞かれましたので、黙って「コクン」と首を下げましたら、「どうぞ」との返事。これは「しめた」と思い「急いで下から荷物を取って来ます」と言って外に出て、果物屋でメロンを買ってから、戻って病室に入りました。本人は酸素マスクを付けて本を読んでおりました。私の顔を見て「キョトン」としておりましたので、「私は教会から来ました。昨日お母さんが参拝に来られて、大変心配しておりましたので、居てもたってもおられずお伺いしました。神様にお願いさせていただいていいですか」と聞きますと、彼も黙って「コクン」としましたので、気の変わらないうちに早速おさづけをお取り次ぎさせていただきました。そして最後に「お母さんを安心させてあげてください」とだけ言って部屋を後にしました。行く時はどうなるかと思いましたが、案ずるよりも産むが易し。帰りは爽快な気分で帰ってまいりました。

 夕方になって電話がかかってまいりました。「今日の御礼の電話だなぁー」と思っておりましたら、家内が電話に向かって「すみません。申し訳ございません」と一生懸命謝っています。聞きますとその方は、息子の嫁から「お母さんが信仰するのは勝手ですけれども、私たちまで巻き込まないでください」と、えらい剣幕で怒られたとのこと。その腹いせに教会に電話がかかってきたのであります。私は「しまった。残念だなぁー」と思いました。しかしそれよりなによりも家内が「しょぼん」としてしまい意気消沈をしているのであります。

 そこで昔の先生方が大変な苦労の中をおたすけに歩かれた。石を投げられたり小川に突き飛ばされたりした時、教祖にそのことを尋ねると、教祖は「真実を尽くしてあだで返されたら、その人の後ろ姿に手を合わせて拝んでおくれ」と。「何故でございますか」。「今世積んだほこりならば静かに思案をすればわかりもしよう。なれど前生、前々生からのほこりは、悪いんねんとなって、いくら思案しても分かりかたあろうまい。この前生、前々生からの不幸せであることの悪いんねんを持って行って下さる方が、いま真実を尽くしてあだで返して下さる方に、ただ目に見えているだけなんだ」。というおさしづを下さった。この話を家内にしました。「私たちお互いはいんねんの悪い者同士だ。これで我々の悪いいんねんが一つ掃除していただいたと思って、喜ばせていただこう」と、家内を元気づけたのであります。

 月次祭の神饌物を買いに行った時のことです。八百屋での買い物が終わり帰ろうとしましたら、家内が「薬局へ寄ってきます」とのこと。私は隣のコンビニの前で待っておりました。そこには4~5台の自転車が止めてありました。その時、運悪く自転車が「ガチャーン」と音を立てて将棋倒しになってしまいました。近くにいたご婦人の方と一緒に元の位置に戻しました。買い物袋が3~4つ落ちており、これがハンドルにぶら下がってバランスを崩して倒れたのです。見れば小さな袋が手の届かないところに落ちていました。「ここまですればいいか」と思い、私は元の位置に立っておりました。するとコンビニの中から出てきた男性が、いきなり私に向かって「人の自転車を倒しておいて、そのままにしておくのか」と怒っている。あまりに言うものですから、私はそばに寄って行って「あなたの自転車が倒れたから、私は元通りにしてあげたんですよ」。これだけ言ってまた元の位置に立っていました。本人はブツブツ言いながら、袋を一つ拾い上げて立ち去ったのであります。

 この時に「このことだなぁー」。「真実を尽くしてあだで返されたら、その人の姿に手を合わせて、拝んでくれ」。私はそれは受入れのように人に言っていたのでありますが、今そこに自分が直面いたしまして、さすがに手を合わせることはできませんでしたけれども、心の中で「いんねんを一つ掃除してくださってありがとうございます」と、手を合わせることができたのであります。

 やはり人様に親切にしたり、おたすけをさせていただくということは非常に勇気がいり、難しいことでありますけれども、その中で本当に、どのような災難や境遇にありましても、それはすべて親神様の思し召しと悟って、心を倒さず喜び勇んで明るく暮らす。これが道の子供の歩み方であると教典にお示しいただいております。

 「たんのうは前生のさんげ」と、「たんのうは真の誠」とも聞かせていただくのであります。「人助けたらわが身たすかる」の心境で通らしていただきたいと思った次第であります。

 電話をかけてきたご婦人は「もう教会に参拝されないだろう」と思っていましたら、祭典日にはちゃんと参拝してくださって「先日はせっかくおたすけに来ていただいたのに、失礼なことを言って申し訳ありませんでした」と言って、誤って下さったのであります。嫁のあまりの剣幕に矛先が教会に向いたのであります。

 さて私ども上之郷大教会では「たすけあおう、信仰する喜びを育てよう、教えに触れる、教えを深める」という成人目標を定めております。それは教理に触れて教えを深めるということであります。今、私たちは先人に比べて神様の話を聞くことが増えており、道友社に行けば溢れるほどの本が並んでおります。勉強しようと思えばいつでも環境の良い部屋で勉強ができます。しかし昔の先生はそう簡単ではなかったようです。

 高安の初代、松村吉太郎先生20歳。郡山の初代、平野楢蔵先生42歳。二人はおぢばにお話を聞かせていただくために帰ります。高安の村役場を出たのが午後の12時。焼け付くばかりの真昼間、峠を越えておぢばに着いたのが午後の4時過ぎといいます。「松村さんが帰って来た。桝井さんを呼んで来い」という初代真柱様の声に迎えられた。当の桝井さんは昼間や夕方にはお話はされなかった。

 うす明りの中に桝井さんの顔がほのかに見え、この世はじまりのお話から始まって親神様のご守護 それからさらに身の内借物からいんねんについて、今はその長いお話も終わりに近づいていた。その夜更けの十二時を過ぎてから始まったお話であるから、たっぷり三時間は過ぎていたであろう。桝井さんの話には切れ目がない。かんでふくめるような一語々々、聞いている私と平野(楢蔵)さんとは、まるで海綿のようになって、その全てを心魂に吸いとっていた。「だから身上は神様からの借物、心一つがわがのものじゃ、心通りの守護です。わかりますね。故に心が倒れたら身が倒れる。心が生きたら身が立ちます。・・・・・もう夜明けや、今日はこれでおかしてもらいます・・・・」     「松村さん、今日はわしも一緒に帰ろう、一人道は寂しいやろう。竜田まで送っていったら、夜が明けるやろう・・・」といって平野さんも帯をしめなおした。おやすみ中の教祖様に拝をして門を出ると、すぐに野道となる。   二人はまだお話の興奮からさめきれないで、ものもいわずにスタスタと歩いた。神様、神様、神様・・・・・ただそれだけが胸の中に燃え立っている。  「松村さん」突然、平野さんが呼びかけた。「はい・・・」「今日はおまはんのお蔭でありがたいお話を聞かせてもろうた。ほんまに結構やった」「いつも同じようなお話ですが、何度聞いてもあきません。不思議なことです・・・」「ほんまにそや、桝井さんのお話は決まっているが・・・ちょっとも目新しいお話はせえへん」「それでも聞きあかないのは、どういうことでしよう」「聞くたびに、わしらの方に新しい悟りが一つ一つ開けてくるやろ、そこや」平野さんの言葉にうなずいた。それは、ちょうど流れる水を見ているようでもあった。目の前を流れ過ぎゆくものは常に一つの水である。それでいて、心の眼というか「観の眼」が開けるにつれて、その一つの水に千姿万態を見出すのと同じであった。そしてまた、入信後日なお浅く、とてもない命を助けていただいた喜びに燃え上っている二人には、無限の悟りの、その門をくぐったばかりであったのだ。(道の八十年、松村吉太郎自伝)こう示されているのであります。

 このように昔の先生は一度のお話を聞かせていただくのに、大変なご苦労をなさって理の話を聞かせていただいたようであります。私は本当にもったいないような気がします。今日、浴びるほどの教理を聞かせていただく。知っている。分かっているのでありますけれども、本当に心に治まるまでには難しいのではないでしょうか。同じ話を二度三度、繰り返し聞かせていただき拝読させていただいているうちに、新しい悟りが開けてくれば、これが真に心に治まったといえるのではないでしようか。

 立教180年の春の大祭で真柱様は「教会につながるようぼく、信者の皆さんも、教会へできるだけ足を運び、親神様、教祖に心をつなぐように努めていただきたいと思うのであります。世界いちれつの陽気ぐらしの実現は、なお未来のことですが、その大きな目標に向かって、教会に関わるみんなが心を合わせ、一歩一歩、歩みを進めるなかで、足元から陽気ぐらしの輪が広がっていくのであります」と。このようなお話をしてくださったのであります。おさしづに「危ない事、微かな理で救かるは日々の理という」(おさしづ 明治26年4月29日)。かすかとはどのくらいのことをいうのでしよう。お酒を一合飲んでいる私が、半分にしたら5尺。かすかとは言えません。おちょこ一杯、スポイトに1~2滴でしょうか。神様のおっしゃるかすかとは、量のことではなくして、日々しっかりと繰り返し、繰り返し神様に心を繫がせていただくことにより、危ないところをかすかな理を受けて、大難は小難に、小難は無難にお連れ通りいただけるのだと教えてくださっているのだと思います。教祖50年のひながたを通して、素晴らしい陽気ぐらしへの世界へとお導き下さるこの素晴らしい教えでございます。どうか共々に勇んで、しかも爽やかにつとめさせていただきたいと思います。 

 

 

 

 

 

 

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