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野田 洋(のだ・ひろし) 川岡組長

支部のグループラインに入っておられる方は見てもらえたらわかるんですけども、私のラインのプロフィール写真が、ちょうど還暦の祝いをやっていただいた時の写真なんです。今年いよいよ70歳という節目の年がありまして、60歳のその次の年が年祭、70歳の次の年が年祭、不思議なもので10歳ずつでその年祭がついてくるわけなんです。

この前改めて写真を見たら、これが年祭の1年前、還暦を迎えたのが仕上げの年の7月で、多分8月か9月にお祝いをやってもらったと思いますので、もうあと数ヶ月で年祭やという時ですが、10年前、これ130年祭やなということを何をやったか全く覚えてないんです。130年祭、写真には載ってるけども、この年、年祭で活動をしていたのだけども、どんな年祭の活動してたんやろなっていうのがありまして、今年70の節目で、年祭活動最後の年なんですけれども、情けないことに当の教会長がこんなもんですから、当然信者さんらはその時の年祭って、どんな年祭やったかなということは、家族も知らん、というか忘れてると思います。

この年祭活動三年千日が始まる前に、そんな大きいことは全然できないけども、140年祭は、140年祭こんなことをしたなという、一つでもいいから記憶に残る年祭をやりたいと思いまして、家内といろいろ相談して、決起大会をやろうと、年祭に向かっての三年千日。恰好はいいんですけども、決起大会というても、おつとめやったりそんなやったって、多分誰も覚えてないやろうし、かしこまったことしたら覚えてないやろうし、どうしてちっちゃい子やら、もちろん小学生の子も、ものすごい年配の信者さんも、みんながあれ年祭やったんか、あの年祭の活動やったんか、年祭の何かやったんやなということで、大きい声では言いませんけども、みんなでどっか旅行行こうやないか、とそこから始めて、とりあえずみんなに旅行と言ったら変なので、移動決起大会をしようやないかとなりました。

とは言うても、ただ単に遊びに行くだけやったら何のこっちゃわからないので、兄弟教会に相談して、この日にあんたところの教会で決起大会やらせてもらいたいから、ちょっと神殿貸してもらえないやろか、ということでお願いし、その近所のそこの親戚がやってる旅館がありましたので、決起大会終わってからそこの旅館で直会やらせてもらえないかということで、そういう計画を立てました。

しかし、教会としてもお金もないので、みんな積立しようやって言って積立袋を出して、信者さんやら全員に毎月1千円ずつ積み立てしてくれよ、って積立してもろて、後の足らん分は全部教会が出すので っということで、教会は1万円ずつ積み立てて行くことになりました。

決起大会の時にお話しさせてもらったお話が、人間って、おぎゃあと生まれてから、なんや知らんけども道を歩いて行って、その道でこけんように神様が背中にゴム紐をつけてくださっていると、私は思うんですね。そこから外れそうになったら、外れたらそのゴムが伸びたら縮みますよね。すごい反動で元にポーンと戻してくれるんです。その元に戻してくれるゴムが、例えば親であったり、上級の会長さんであったり、信者さんであったりで、その人が外れたらあかんというんで、ギュッと戻してくれるんですけども、まあここに若い人も何名かおられますが、私みたいな年になるとそのゴムがね、だんだん伸びっぱなしになってしまうんですよ。というのは、親もなくなり、古い信者さんも亡くなり、上級の会長さんも若い。自分より大分下の何々となるともう伸びっぱなしで戻ってこないんですね。何とかこう戻すのがやっぱり教祖の道すがらというかひながたじゃないかと、そのために10年間ずつにちょっとでもこう引っ張ってもらうためにゴムを伸びっぱなしはダメだよ、というので引っ張ってもらってるんじゃないかということではないかと思います。

何とかこの年祭を、140年祭がこんなことやったとちょっとでも、ほんまにみんな幼い幼い信仰なんで、140年祭にこうやこうやと言うても、なかなか付いてきてくれる人もいないので、とりあえず形からでも入ろうかということで、そういうさせていただいた年祭です。1年目はそこみんなでそこ行って、2年目は河原でバーベキューして、今年は半年後、まだ何も言っていないんですけども、毎年何かやって、これが140年祭何かやったなというみんなが記憶に残っといてもらったら次につながるかなと思っております。


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