天理教
教区・支部情報ねっと

教区 掲示板

金山雄大 教区長 年頭挨拶

この記事は2023年1月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。ご注意ください。最新情報は、左の最新年をクリックしてご覧ください。

kyokucho-taketomo-kanayama

立教186年の新春を迎えさせていただきました。

旧年中は、教区管内の皆さま方には、地域活動の上にお力添え、お心寄せを賜り、誠にありがとうございました。

さて、新しく迎えた本年は、教祖140年祭に向かう三年千日活動、スタートの年です。昨秋にご発布くだされた諭達第四号には、「ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。」(明治二十二年十一月七日)とのおさしづが引用されています。「ひながたを通る」「ひながたを辿る」、私自身、これまでもよく口にし、 人にも説いてきました。 諭達ご発布後、ある教会の前会長さんと話す機会がありました。その方は、自身が「教祖のひながた」を人に説く時、いつも我が胸に問い、言い聞かせていることがあると言われました。それは、人に説く前にまず人から「では、あなたはどのようにしてひながたを辿っていますか」と尋ねられた時、確かな答えを持っているかどうか、答えに窮するようでは、ひながたを実践しているとは言えない。これを常に問いかけていると私に聞かせてくださいました。

私自身も確かな答えをもっ ているのかと、あらためて自分に問いかけてみました。私は常々、

教祖は、いつも、「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」と、仰せになっていた。(逸話篇一七七「人一人なりと」)

とありますが、この逸話を心に置いて通らせてもらっています。そして私は、教祖は「いつも」仰せになっていた。この「いつも」というのが大事なところだと思っています。「いつも」の対義語は「たまに」「まれに」です。そうではなく、「いつも」たすけ心いっばいでこれからも通らせていただきたいと思います。

このことに加え、年祭活動ですから、より具体的な目標も掲げて、この三年千日つとめたいと念願しているところです。

教区管内の皆さま方には、本年もよろしくお願い申し上 げます。

(京都教区報/立教186年1月号より)


ページの先頭へ