右京支部 掲示板
- 2022年05月04日 (水)
- 【右京支部】
この記事は2022年5月に掲載されたものです。
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菊田奈良彦(きくた・ならひこ)副支部長・育成部長
コロナ禍を丸2年経験させて頂きまして、大変制約の多い期間を、それぞれの教会、また支部活動の上でも進めてきた訳でありますが、まだまだ先は長いな、というのが実感であります。
それに加えて、ロシア・ウクライナの問題であったりとか、最近は報じられなくなりましたが、ミャンマーも大変厳しい状況で、クーデターが起こって多くの方が犠牲になっておられます。
我々の力では到底解決できないようなことでありますが、日々のおつとめや月次祭で治まりを念じることくらいしか出来ないな、ということを感じております。
4月に入りまして大変気候の良い季節となりました。窓からは桜の花が満開になっております。
この時期になりまして、桜の花が満開になって、きれいだな、と思う一方で、この木も桜やったんやな、ということをよく感じます。
樹木に大変疎いものですから、この木が何の木かなということは普段あまり考えずに街を歩いている訳ですが、花が咲きまして、これは桜の木やったんやな、と満開になった桜を見て感じる訳です。
花が咲いて気が付くということは、日々通らせて頂く中でもあることで、身上であったり事情であったり、お道でよく言います、「道の花」ということも聞かせて頂く訳ですから、身上事情を頂戴して、普段の健康な体、何気ない毎日の生活が本当に有難いことだったんだな、ということに気が付かせて頂きます。
世間一般の人は、病気になって、病院で治療して、膏薬を頂いて、入院なりして、病気が治って、ああよかったな、という風に感じられます。しかし我々は、普段の生活の中で、花を咲かせて頂く以前に、この健康な体を有難く使わせて頂けるということが、素晴らしい神様の御守護なんだな、ということに気が付いて、また、それを知っている訳です。それを神恩感謝といいますか、それに報ずる気持ちがひのきしん、という風にも聞かせて頂きます。
提唱90周年という本当に長い歴史の中で、今年は特に、コロナで2年間ひのきしんが出来なかった、ああこれでひのきしんデーつとめさせてもらえるなあ、という喜びもさることながら、毎日の生活の中にひのきしんを取り入れて、日々の指針としてひのきしんをさせて頂くことも大事だな、と思わせて頂きます。
2年前、コロナ禍になって初めてひのきしんデーが中止になった時に、それぞれの教会でひのきしんをして下さい、ということでしたので、何人かの信者さんに集まってもらい、近くにあるJRの花園駅までゴミ拾いをして、駅前で掃除をさせて頂こうということになりました。
そんなにたくさんゴミは落ちてなかったのですが、街路樹の根元を見ますと雑草がいっぱい生えてましたので、一人一本ずつに分かれて草引かせてもらいました。
しはらくして回りを見渡すと、見ず知らずの婦人が一緒に草引きをされていました。帰る時にその婦人に声を掛けると、「駅前に用事があって来たら草を引いたはったんで、私も何かさせて頂かなあかんなと思った」ということでした。
改めて考えてみると、我々は草が生えていたら、駅前であろうとどこであろうと、ひのきしんの心ですっと手を出すことが出来るわけですが、世間一般の人は、気持ちがあっても行動に移るかというと、なかなかそうじゃない。我々がしていたから私もさせてもらおうと一緒にして下さったあの婦人は稀な方だな、そう思いました。
我々のひのきしんは、自分達がするひのきしんだけではなく、世の中のそういった気持ちのある方に、一歩踏み出してもらえるような、そういった活動にもつながっていくんだなということを、その経験を通して感じました。
道の花、我々の身上事情、健康の感謝、そういったことを感じながら、提唱90周年のひのきしんデーを一生懸命つとめさせて頂いて、普段の生活の中にもひのきしんを取り入れさせて頂いて、それがまた、大きなにをいがけといいますか、人々の心を動かすようなことにつながっていくと思います。