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菊田 喜美代(きくた・きみよ) 婦人会支部主任

川端分教会では、教祖のお四つとお八つのお菓子を毎月お供えさせて頂いております。「鼓月花園店」へ買いに行っております。母の時代から続けておりまして、私が行くようになってから、20年ぐらい経ちます。

「いきいき通信」と大教会で作成されている「チラシ」を渡し、少しでも心の向きを良き方向にという思いを添えながら手渡ししております。おかげでお店の人と仲良くなり、お客さんがいない時は教祖のことを話したり、お道の教えを伝えたりと、私の大好きなお店の一つです。

先日いつものように行くと、私と同年代の女性の方がお菓子を注文しているのですが、言葉がきつく感じるのです。相手はベテランの店員さんではなく、入ったばかりのパートさん2人でした。あたふたしながら対応していて、それを見ながら私もハラハラしておりました。

その時、嫁いだ頃、主人から、「お前と信者さんが話しているのを聞いていると、ハラハラする。お前は分からないだろうけど、だから余計悪い」と。また東京で育った母と静岡で育った私が話をしていると、「飛行機がぶつかるところをフッと避けるというくらいハラハラしている」というふうにも言われたことがあります。でもその時私は、言われても何のことだかさっぱり分からず、嫌なこと言うわぐらいだったと思いますが、この女性を見てこの人も何も意識せずに言っているから、自分の癖が出ているんやろうなと、途中で、33年経ち、親神様がいろんな節を与えて下さったおかげで、気づくことができたんだと思いました。

さて、教祖140年祭に向け「諭達」が発布された時、何を心定めして三年千日を通ろうかなあと思いました。今までたくさんの心定めをしても何一つ続けられない私です。必ずできることと思い、以前大教会の参拝場の障子をきちんと座って両手で閉める奥さんを見て、ええなあと思ったので、私もやってみようと思い、戸をそっと静かに閉めるという心定めをしました。

婦人会の例会のねりあいで、三年千日の心定めをテーマに話す時、戸をそっと閉めるということを言うと、ドッとウケます。その時に戸を閉めながら、三年千日だって意識していることを話すと、ちょっと納得してくれて、それなら私はこんなこともしてる、あんなこともしてる、とねりあいが盛り上がります。つまり、無意識に過ごしがちなところを、戸を閉める度に今は三年千日1年目、教祖に喜んでもらうにはとか、今日の私はどうだろうとか、紐づけするのです。続けているうちに、腹が立ちそうになっても戸を閉める時にクールダウンすることに気づきました。

今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。(明治二十年三月二十二日(陰暦二月二十八日)二時刻限御話)

このおさしづは30年前、検定講習で当時の府内大教会小林先生が、小柄な体を一生懸命動かしてお話しして下さり、とても印象に残っています。腹立ちの強い私は、カッカするたびにまだまだ澄み切れんなあと反省してきました。

戸を静かに閉めるを続けて1年近く経った頃、チラシ配りのにをいがけをしている時、以前夏の暑い頃に子供にアイスを下さった奥さんがいました。その方に久しぶりに会うことができ、「天理教の菊田です、お久しぶりですね」と声をかけると、「あらほんと久しぶりね。子供さん4人いたわよね」と聞かれ、「5人になったんです」つまり20年ぶりに会ったことになります。奥さんから、「あなたずいぶん柔らかい感じになったわね」と言われ、「歳を重ねて重力に逆らえなくなりましたから」と笑って返すと、「そうじゃなくて優しい感じになったというか、笑顔がとてもいいわ。笑顔って難しいのよ。私、セレマの営業してきたけど、そういう笑顔をしたいと思ってきた」と言ってくれました。しばらく話をして別れたのですが、とても嬉しい一言でした。優しい心になりなされや。人を救けなされや。癖性分取りなされや。少しでも優しい心に近づけたかなと思ったのでした。

先月の大教会の婦人会例会で、来年、委員部長講習会を受けるにあたり、心定めをしてきて下さい、と修練部から提案がありました。ここでも心定めが出てきました。私の尊敬する奥さんにちょっと、「私、戸を静かに閉めるを心定めしてるんです」というと、「ああ、そうやって癖性分取ってるのね」って言われて目から鱗でした。こんな簡単なことでも、癖性分を取って下さるんだと思ったら嬉しくなってきました。

来年は三年千日の2年目、新たな必ず続けられる心定めを一つ増やして、心澄み切る努力をしていきたいと思います。


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