右京支部 掲示板
- 2024年08月27日 (火)
- 【右京支部】
舩越 昌徳(ふなこし・まさのり) 松尾組長
私の母であります舩越弘子が、去る7月13日、91歳で出直しさせていただきました。
母は教会に生まれまして、23歳の時に父であります3代会長と結婚して、次の年、24歳の時に父が会長になりました。父とは同い年なんですが、結婚してすぐ教会を若い2人で頑張ってくれたという訳であります。そして、教会に来てから68年間、教会の台としてつとめてくれました。
母はどちらかというと、良いように言えば慎重です。普通に言うと心配性、悪く言いますと、先案じです。私が野球したいと言いましたら、棒を振り回すようなことは危ないから絶対するな、と言われました。サッカーをしたいと言いますと、土に転がってる汚いボールを頭の上にヘディングするなんてしたらあかん。ことごとく何か理由をつけて否定されたわけであります。ところが、一つだけ進めてくれたこと、それがお道を通りなさい、これだけであります。あなたは将来教会長になるんだから、しっかりお道の勉強をして通りなさい。このことについては、一切あかんとか、茶々を入れるようなことはありませんでした。そうした思いで通らせてもらった、育ててもらったお陰で、私は教会を継がせてもらいましたし、弟も教会長になっております。妹も教会に嫁いでおります。いずれも今は神様の御用をさせていただいているように育てていただきました。
舩越の家、入信は明治30年ですので、130年近く前になるわけであります。私からすれば曾祖父になりますが、西陣織の家でした。その時に指の身上がありまして、それをきっかけにお道の話を聞かせていただいて、特に響いたのが、お道を信仰すると、いんねんを、運命を変えてもらえるというところに飛びついたわけであります。曾祖父は自身が3歳の時に父親が40代で亡くなりました。苦労するのは残った奥さんと子供たちであります。だから苦労してきた人生でありました。何とかその運命を変えてもらえるならば、信仰をしっかりとやらせていただこうと、かけたわけであります。
自分の代で西陣織をやめて、道一筋に、神様の御用一筋に通らしていただきたいと思っていたのですが、奥さんが大反対しておりました。当時、明治30年過ぎたあたりは、非常に世の中の空気が悪く、ダンスとか取り締まりがものすごく厳しく、一旦広がったんですけれども、低調になりつつあって、良くない話の方が広がっていましたので、奥さんもたくさん子供がいるし、そんなんでどないするということで、ずっと反対し続けたので、本人の時代には神様の御用だけでは行けなかったわけでありますが、それを子供に託し、長男がその後を継いで、神德の初代会長になったわけであります。
残念ながら、入信の方の初代、曾祖父はやはりいんねんなのか、43歳で出直しました。そして、後で初代会長になる長男、私の祖父は20歳でありました。祖父はその出直しを曾祖父からの遺言のように受け止めて、その後、1からお道の御用に通らせていただき、にをいがけをさせていただいて、10年間かけて30歳になった時、大正3年に教会、神德宣教所を設立させて頂きました。しかし、その初代会長の祖父も47歳でやっぱり出直しているわけであります。その子供、私の父である3代会長は、生まれた時もうすでに父親がおりませんでした。ですので、私の父もやっぱり苦労しております。当然祖母である2代会長も苦労してきたわけであります。そういう意味ではずっと人には恵まれてなかったということです。
そうして苦労の道を通ってきたわけなんですけれども、突然ここへ来て、信仰100年を超えてから、びっくりするようなことがたくさん明らかにわかるようになってきました。
それはまず、父が今も91歳、健在でいるということであります。これは舩越の男の中のいんねんからすれば、何代遡ってもそんなに長生きした人はいませんので、本当にありがたいことでありますけれども、母も一緒に91歳までおりまして、西陣大教会には80箇所の教会があるのですが、私からすると親夫婦、私たち夫婦、子供夫婦、三代揃って夫婦がいる教会が全然ないんです。うち以外に1箇所だけあったのが、西陣大教会です。西陣大教会は、前々会長さん夫婦、前会長さん夫婦、現会長さん夫婦と三代揃って、年齢も私のところより上だったので、さすが大教会やなあ、と感心したんですね。ところが、今年の4月に前々会長さんの奥様、清子奥様が出直されましたので、うちがトップになったなあ、と思って喜んでたんですけれど、清子奥様が呼ばれたみたいで、うちの母も出直しいたしました。しかし、それがとてもありがたいんだろうなと思っております。
お道の信仰も30年、40年経てばなるほどという日がくる、と聞きますが、私の家から考えれば100年を超える信仰ですけれども、私自身の代からすれば、私自身も50代で亡くなってもおかしくない、というのはありました。本当にありがたい事ばかりであります。
先程、支部長の挨拶にもありました通り、道を伝えるというのはなかなか難しいことであります。しかし、御用させていただく中で喜んで受け止めさせていただいて、当然、中々難しいこと、また何でこんなことが起こってくるのかと理不尽なこともあり、人間世界でありますから、まだまだ届かない私でございます。それで不満が重なる訳なんですけれども、それでもその中から喜びを見つけ、また素直になるほどな、結構やなあと思えることがたくさん見せて頂ける、こんなありがたいことはないな、と改めて思わせていただきます。