天理教
教区・支部情報ねっと 

右京支部 掲示板

この記事は2022年12月に掲載されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。ご注意ください。最新情報は、左の最新年をクリックしてご覧ください。

吉田 裕樹(よしだ・ゆうき)少年会支部育成委員長

私は、哲学者の話を見たり聞いたりするのが好きなのですが、アメリカの哲学者エマーソンの話を紹介します。

「とある病室には余命宣告をされた重病患者が7人入院されていました。病室の奥に小さな窓が1つあり、窓から外が見える一番奥のベッドの席にはジミーだけがいることが出来ました。ジミーは、毎日外の様子を他の6人に語って聞かせました。

『みんな今日はいい天気だぞ。公園で小さな子供たちが遊んでいる。楽しそうだなあ。』

死ぬのを待つばかりの患者たちにとって、ジミーの語る外の様子が唯一の楽しみでありました。しかし、1人トムという不機嫌な男がいました。

『ジミーの野郎、窓際のベッドを独占しやがって。ああ俺は最後まで不幸だ。』

ある日、ジミーは亡くなりました。これを待っていたとばかりに、トムはアピールをしました。

『俺を窓際のベッドに移せ。』

窓際のベッドに移され、窓の外に目をやったトムは愕然としました。窓の外から見える世界というのは、隣の建物の壁しか見えなかったからです。一瞬にしてトムは理解しました。

『ジミーのやつ、俺たちを勇気づけようとして、毎日こんなことを言っていたのか。』

その日からトムは、ジミーに負けないくらい想像力を働かして、外の様子をみんなに語って聞かせました。その日からトムは幸せになりました」。

これは、幸せというのは香水のようなものだ、他人に振りかけると自分にも必ずかかるので、他人に振りかけた幸せが自分にもかかってくる、自分も幸せになれるという話です。

 もう一つ、とある年配の女性ようぼくの話です。

 その方は、交差点の四つ角に自宅があり、その前を通る通行人に毎日声をかけておられました。「今日はどちらに行かれるのですか。へぇ、それは結構なことですね。この時期だと紅葉がきれいでしょ。ぜひ楽しんで来て下さい。」毎日のように色々な方向に行かれる方に、「結構ですね。結構ですね。」と声をかけておられました。たまに、不思議に思ったそのご婦人に会いたいなと思って、家に来られる方がいました。その時に、ご婦人に出会った人々はみなびっくりします。それは、そのご婦人は両足が無く、寝たきりのままの重病患者だったそうです。

 他人を喜ばせよう、幸せになってほしいな、という他人を喜ばせようと思う行為が必ず、自分も幸せになれる、という話です。

 青年会長様は昔、天理駅の前に立たれて路傍講演をされて、初席者25名をお与え頂かれました。自分でお話しされたのですが、その後、ほとんどの人と連絡が取れなくなって、全然道に繋がらなかったということです。そんな中から、どうしたら人が喜んでくれるかなと仲間と語り合って、今、フードドライブ、SNSおたすけ、キッチンポカポカこども食堂など、こうしたことを率先してやっておられます。これまでも自分の徳分を生かして、とにかく人に喜んでもらうことを一番にやっていけば、後で結果がついてくる。大事なことではあるだろうけども、数字だけを追い求めて一生懸命やったものに対して、やはりそこには数字しか残らなかったというところで、立場ある方が自分自身の失敗をしっかりと皆さんにお話しされて、だから私は次こうしていくんです、ということを言われていることに感銘を受けました。

 これから始まる年祭活動において当教会でも、こうした青年会長様のような姿勢を見習って、この一年間、毎月とにかく行事という行事を教会に人に来てもらい、泊まってもらい、やり続けるということをやっていきまして、色んな人に出入りしてもらい、そこでみんなにうれしい楽しいと喜んでもらう。その活動をすることによって、受け入れ側の教会も成人出来ますし、教会がたすけの道場となれるかな、と思いながら、みんなの意識もそこに持って行きながら、どんどんと加速していきたいと思います。


ページの先頭へ