天理教
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舩越 陸(ふなこし・りく) 学生担当(支部副担当)

私は現在31歳で、妻と子供1人と共に教会で生活をしております。教会には祖父母、会長夫婦と私達家族3人と妹の8人で住んでおりまして、今私自身は自教会の青年として道専務でさせて頂いております。

教会子弟にはよくある話かなと思うのですが、子供の頃は天理教がとても嫌いで、どれくらい嫌いかというと、小学校の頃は寝る前に、天理教をどうやって滅ぼそうかなあ、とか考えるくらいに天理教が嫌いで、夕づとめの門限とか、少年野球をやっていたんですが、月次祭や鼓笛などで野球を休まなあかんとか、理由は色々あったんですがとにかく嫌いで、何でこんな家に生まれたんやろ、と自分の人生を嘆いていたのを覚えています。

中学生になってもその気持ちは変わらず、野球ばっかりやっていました。そんな中学2年の夏、野球の練習中に自分の打った打球が右目に当たりまして、そこから半分視力を失ってしまいました。はじめは阪急桂駅近くの眼科に連れて行かれて、3回くらい治療したんですけども、様子がおかしいということで、そこから京都桂病院に回されました。京都桂病院でも検査をしてここでは無理ですということで、次は京大病院の方に回され、そこで1日掛けて精密検査をした結果、網膜が壊死しており、治ることは無いと言われてしまいました。14歳だったのでとてもショックで、そこから大好きな野球も適当にやるようになり、周りの友達もだんだん変わっていきました。そんな中学生活を送っていました。

そんなことがあり、なんで信仰を始めたのかというと、ターニングポイントは高校入学前の春の学生おぢばがえりでした。会長が教区の学担をしていたということもあり、半ば強制的に春の学生おぢばがえりに参加させられました。人見知りかつ勉強嫌いの私にとっては、地獄の3日間が始まった訳です。始めは本当に嫌で、早く家帰りたいなあ、とか、地元の友達と遊んでた方がましやろ、と思っていたのですが、スタッフの方が同世代の学生なんですけども、とても優しくしてくれて、徐々に心を開いていったのを覚えています。特に印象的だったのが、高校1年生、2年生とかもスタッフをしていたんですけども、大きい声でおつとめをしている姿が忘れられなくて、どうして自分と年が近い人たちがこんなに一生懸命おつとめをしているんだろうという疑問、今までやったら大人がおつとめをしているのはよく見ていたんですけども、自分と同世代が真剣におつとめをつとめている姿を見たことがなかったので、その姿が衝撃的で、気付いたら周りに合わせておつとめをしていました。

春学が終わり、高校は桂高校に入学したのですが、右目の事もあったので、野球はやらずバイトをして学生会に行くようになりました。学生会に行く内に学生会の先輩から、右目のケガは単なるケガではなくて、「身上の障り」であって、神様からのメッセージがあることを教えて頂きました。もしケガをしていなければ、こんなに素敵な学生会の仲間に出会えなかったのでないかと思うと、今まで喜べなかった右目のケガをその時初めて喜べるようになりました。これが私が信仰するようになったきっかけです。学生時代に神様の存在に気付き、またこうして学担という立場をお与え頂き、少しでも学生さんに信仰の喜びを感じてもらえるよう、これからもつとめさせて頂きたいと思っております。


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