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川戸 勝治(かわと・) 道友社社友

9月にこのスピーチが当たっていたのですが、9月4日は上級唐橋分教会の創立130周年記念祭がありまして、今月に交代してもらったという次第でございます。

思い返せば、2年前に、後継者不足、後継者の育成が出来ない、あるいは、よふぼく信者の丹精が出来ていない、教会名称の理のお許しを戴いておきながら、教会としての使命が果たせない、という状態で、8ヶ所の教会をおぢばの方にお戻しさせてもらいました。

そのことがあっての今回の130周年記念祭をつとめさせてもらうということでありましたので、どういう130周年記念祭をつとめさせてもらったらいいのかなと、色々と談じ合いをさせて頂きました。なかなか簡単には答えは出ません。方程式があるわけではありませんので、たし算したり、かけ算したり、そんなことを考えながら、やらせてもらいました。

そんな中で、130周年の標語として、3つ目標を立てて歩ませてもらおう、となりました。

1つ目は、「つながってきた感謝」。130年の間つながってきた喜び・感謝、これがないとつながってこないわけですから、改めて噛み締めさせてもらおう。

2つ目は、「つながっている感激」。せっかく記念祭を迎えさせてもらっても感激がなければ、これから先がどうしたらいいのか、なかなか具体的なことが出来ません。諭達にもあるように、「親から子、子から孫」へと段々と代を重ねての今日です。中には信仰初代の方もおられますが、稀です。ほとんどが、2代3代と代を重ねて今日の日を迎えさせてもらったわけですから、その感激を今一度改めてさせてもらおう。

3つ目は、「つながっていく決意」。

これから教祖140年祭を迎えさせてもらう三年千日にあたる今日を、どういう風に歩ませてもらうのか、談じ合いをさせてもらい、歩ませてもらいました。

2年前から、まずおつとめ。神様に勇んでもらえるおつとめをつとめさせてもらおうではないか。別に上手に出来なくてもいいから、心を込めて、このおつとめで命を助けてもらうんだという心を持ってつとめさせてもらおう、というようなことを相談しました。

次に後継者の育成。若い人、信仰を後につないで頂けるような人を育成していこう、ということも談じ合いをしてきました。結果はそんな簡単に話し合いで決まるほど、成果は現れるものではありません。けれども、その中から新しい人をお与え頂き、また今までおつとめが出来なかった、奉仕しようとしなかった人にも、おつとめ着をつけて、共につとめてもらうことによって、どれだけの喜びを見せてもらえるか、答えはすぐには出ませんけども、その楽しみをもってつとめさせてもらう、ということを談じ合いをさせてもらってつとめてまいりました。

唐橋の道は明治26年9月にお許しを戴きました。斯道会第十二号という号名も頂いております古い教会であります。私が一番感心しているのは、大正普請、今の北礼拝場になりますけども、その時の畳を唐橋で献納させてもらっている話です。畳の枚数にして482枚、京都中の畳職人が集まった。大正ですから、今みたいに車に積み込んでおぢばへ運ぶわけにもいきません。125台の大八車を借りて運んだと聞かせてもらっています。御前通には2キロに渡って大八車が並んだという話であります。もう一つ面白いのは、もし雨が降ったらどうするのや、という意見も出て、心配をされてた方もおられたようですが、雨降るわけがないやろう、神様の座ってもらう畳を納めるのに、どうして雨が降るんや、と勇んで運ばれた結果、雨は降らずに献納させてもらえたということです。しかし帰りは土砂降りだったようで、みんな大変感じ入って、なるほど親の御用をさせてもらったら間違いないんや、ということを肝に銘じたという話が残っております。

その当時、本部も会計が大変逼迫しておりまして、畳を入れる余裕がなかった中、それを持たせてもらおうやないかとなったわけですが、決して唐橋が有り余ったものがあったのでさせてもらったというわけではないと思います。大変苦しい中、親への孝心、おぢばへの思い、おぢばに親に喜んでもらいたいという心が、今日までこうして続いているんだなと、改めてその心を我々は忘れたらあかんな、ということを感じて記念祭をつとめさせて頂いたような次第です。

これから勇んだ教会を目指してつとめさせてもらわないかんな、それにはにをいがけ、おたすけ、地道に親々に喜んで頂く道を歩ませて頂きたいと思います。


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